「世の中が変われば 私も変わります。もっと稼げるかもしれません」芦川いづみ『幕末太陽傳』


久しぶりに見た。しかもスクリーンで。


このたび気になったのは、音。
落語のお囃子に通じる三味線や太鼓の音からバグパイプ、オルゴール。
特にオルゴールが印象的だった。
女郎たちや攘夷の志士たちが オルゴール(の仕込んである時計)を囲み
その愛らしい音色を聞く姿は、
情欲うずまく世界や 殺生と隣り合わせの人々を
なんとも純粋にかわいい存在に見せる、ように思えたのだ。
素の人間に戻してしまうような。
そして儚いオルゴールの響きそのものも、
この映画の底に流れる、そして監督が持っている
死生観、みたいなものに通じている、そんな感じがした。


もうひとつは、ささやかな幸せが輝いていること。
オルゴールを囲む女郎たちの姿もそうなのだけれど、
ラスト近くで相模屋を出て行こうとする左平次が 眠っているおそめとこはるを見るシーン、
二人の女がすやすやと眠る姿と それを見た左平次の微笑みは
画面も柔らかく感じられ 静かだけれど ずいぶん時間がとってあって
この映画の中ではちょっと浮くくらい 優しいシーンだった。


最後に、左平次とおひさとの会話。
左平次に駆け落ちの手助けを頼むおひさは、その礼に十両払うという。
「でも今すぐじゃないんです。毎年一両ずつ貯めて、十年経ったら返します」
「十年経ったら世の中も変わる」そういう左平次に、おひさはいう。
「世の中が変われば 私も変わります。もっと稼げるかもしれません」
この映画は、左平次の力強く生きようとする様が物語の大事な味になっているけれど
それは彼だけではなくて おひさもまた
変わりゆく時代になんとか喰らいつき生きていこうしているのだと
あらためて気が付いた。
そしてそんな生き方は、決して生きやすくはない今と通じるのではないかとも感じる。


それにしても、ジャズの音色すら響いてきそうな程の洒落た感じ、
頭の良さを感じさせる笑い などなど
ぜひにまた見たい。


(こちらのサイトに学ばせていただきました http://www.sadanari.com/k-sakuhin/baku-st.html )


幕末太陽傳 [DVD]

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...見るたび気になるのですが、岡田真澄さん(すごくかっこいい!)は 出オチでしょうか?

 「過去を振り返らない街」 『ブラタモリ』タモリ

過去を振り返らない街

なるほど。このタモリさんによる秋葉原のこの定義が、私にはとても新鮮でした。


ところで、メイド案内所のメイドさんから「呼びたいように呼んでください」と言われ
「お前」と呼ぶタモリさんに 何故かどきっと。
「お前、ちょっと行ってくるから。またここに来たら、お前んとこ寄るから」に またどきっと。
ただその後の「どうも時代劇になっちゃうんだよな」に
そうかあ、時代劇なのかあ。なるほど。そうかあ。ちょっとほっとしたというか 安心したというか。
タモリさんのあやしい魅力を発見しそうでした。(それともしちゃったのか)


ところで 鉄道カフェで見ていた写真の一枚、タモリさんが「バンドネオン」と言っていたものには
私も「お!」と思ってしまいました。
それまで列車の写真には あまり感じるところがなかったのですが
それは、わかった。


秋葉原のルーツを探しに行った須田町で出会った婦人が
かつて「コード」を売っていたというのは 見事な締め!
まさに「いちばん最後の<コード>!。トリ!」


過去は振り返らないけども、俺は今日ずっと、
過去を振り返ってばっかりだった。この街に来て。


思えば私も小学生の頃 親に連れられて秋葉原に行き、
当時としてはかっこよかった大きなラジカセを買いました。
もうあれから 何年も経って、ラジカセも壊れてしまったし、家族の形も 私も変わった。
秋葉原に行ったら、私も振り返ってしまうと思う。




この番組はいつも上手く作ってあるなあと 感心してみますが
今回は素材もあいまって すごいことに。夜の番組でよかった。



実家の店で繰り広げられるケンカ。畳にしみこんだ血液。


オカモチ持って出前に行った先のバーでごちそうしてもらうコーラ。
バーテンダーはコップを出し、氷を砕き入れて、栓を抜き、コーラを注ぐまでを 全て片手でやってみせる。
夜になる前の 夜の世界の匂い。大人の気配。


出前に行ったバーに女がいた。バーテンと わけありなのか。
彼女は菊地少年を抱き寄せると 泣き始める。

すすり泣きから慟哭になる瞬間にその人の匂いが変わったんですよ。
茹で上がった豚しゃぶの匂いというか。人ってマジ泣きすると匂いが変わるんだって

バーで、ストリップ小屋で、
彼は 自分が街の人たちから確実に、異様に、かわいがられていることを知っている。
自覚している。


ある日、菊地少年はストリップ小屋の踊り子に 神社の裏に誘われる。
ズボンに手をかける女。そして...
少年は 彼女の頭に嘔吐する。

天使的でいることをおりないと と思って。その瞬間 チックや吃音が治ったんです。


排泄物を何百倍にも薄めると、
香水の香りがするのだと、番組の最後に彼は言っていた。

ドロドロした体験を内側に持ち 希釈しながら妖しく美しいメロディや言葉にしているのか、彼は。

 「ムーちゃん!」『犬猫』監督/井口奈巳

パンフレットの町山智浩さんの解説に感動してしまう。
ところで、この映画にひとりでいらっしゃるご婦人方の姿を見かけると嬉しい。
かっこいい!と思って。


全国で29館でしか上映していないと知って驚く。ハリソン・フォード出てるのに。
とはいえ、ハリソンの出てる意味はよくわからなかった。とってつけたような善行。
アメリカの暗部を告発するようで、
特にハリソンの演じた役に明らかなのだけど
「ひどいことしてるみたいですけど、
 その人だって悪い人じゃないし、やってることに悩みもするんですよ」
というexcuseを漂わせるみたいに 微妙に良いところも見せてバランスを保とうとする、
「結局どっちなんだ!」な内容。
しかし、今のアメリカに「市民権を与えること」をそれほど有り難がらせるほどの
魅力や権威があるのかと不思議に思った。
あまりの「上から」加減に。でも「与える」って時点で、既に上からか。


  • 『犬猫』

8mm版が見たかったのに、近所の蔦屋になかった。
ええええええ! 確か前はあったのに!
35mm版は借りるものの
もうすっかり8mm版を見る気になっていたので(比較して楽しもうと思ってたのだ)、
気持ちを立て直し代わりの映画を探すまでに 1時間かけてしまう。
なんだかんだでレンタル屋の滞在時間が いつも異様に長くなる私。

なんだか 何にも起こらない話が見たかった。物語の「空白」に ほっとする。
...しかし、初見の時の方が 心にぐっさりきたなあ。どうしてだろう。

特典映像での 榎本加奈子さんの言葉が どれも的確に作品の良さを語っているように思った。


  • TEAM-NACS COMPOSER 響き続ける旋律の調べ』


ところで「響き続ける旋律の調べ」っていうのは
言葉の使い方に「骨折が折れた」的な間違っているものを感じるのですが どうでしょう。


  • TEAM-NACS LOOSER失い続けてしまうアルバム』


ところで、地元で「水曜どうでしょう classic」が またまた放送開始。
どうしたんだ。うれしいぞ。

 後悔、ほんとに先に立たず


電車に乗ろうと 急いでいたら
エレベーターの場所を探している方がいたので
引き返してお伝えしたところ、
近くのスーパーを聞かれ
「エレベーターを下りて右に曲がって200メートルくらい先の左手です」と答え
エレベーターの乗り口で別れ 改札を通ったものの、
結局電車には乗り遅れ、
よくよく考えると付近にスーパーは2軒あるので
その方が探していたのは どちらのスーパーだったのか気になってしまい、
どうせ遅れるのなら きちんと案内すれば良かったと
後悔する結果になってしまった、

そんな日でした。

 「白い小指の いとしさが 忘れられない」

美空ひばりが 噴水の周りで「悲しき口笛」を歌う映画のラストでは、ずっと鳥肌たってた。
自由労働者」たちの存在が効いてる。
彼らの中で明るさと楽しさと希望そのものである彼女の姿を見ていると、
彼女の歌や存在が、戦後の日本の人たちを元気づけていたことが分かる気がした。




家に帰ったら、電気グルーヴの「Shangri-La」やってた。一緒に歌った。

 「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」『悲しき熱帯』レヴィ=ストロース


レヴィ=ストロースが亡くなったニュースに驚いた。
既に亡くなったと思っていたから。でもあるし、もちろん 亡くなってしまったこそそのものに。
そのくらい伝説な大きな存在、というイメージ。
文化人類学の講義の時、本を読んだ。名前も繰り返し耳にした。懐かしい。


『La Pensée sauvage』


今年は三色すみれを植えまいと思っていたけれど、
植えようかな。


野生の思考

野生の思考

レヴィ=ストロースの本の魅力的な題名にはひかれてしまう。分からないくせにね。