「妻の貌」 監督/川本昭人


「妻の貌」(08)の監督・川本昭人さんは、広島在住のアマチュアとして自身の家族を半世紀以上撮影し続けている。それらの映像を元に既に何本かの短編を発表しており、「妻の貌」はその集大成として妻キヨ子さんを中心に再編集されたものだ。
二人は昭和19年に学徒動員で知り合った後、翌年8月キヨ子さんが原爆投下後に家族を捜して広島市内に入り被爆結核療養のため県外にいた昭人さんも数日後に市内で被爆する。戦後療養の続いた昭人さんに「結婚を味あわせたい」という父親の思いから、昭和28年に二人は結婚。昭和33年に長男が生まれたことをきっかけに、昭人さんは8ミリカメラを手に入れる。
その時から家族が、キヨ子さんの姿が撮影され続けた。長男の誕生。姑のいじめ。親戚からの孤立。次男の誕生。息子たちの結婚。孫の誕生。甲状腺がんの宣告と手術。原爆症の認定。倦怠感と頭痛に悩まされ、酸素ボンベが手放せない闘病生活。寝たきりになる姑。平成8年に姑が亡くなるまで、13年続く介護の日々…… 50年にわたる記録には、キヨ子さんの人生の全てが映っているのだ。

「妻の貌」でまずカメラが追うのは、キヨ子さんの丁寧な暮らしだ。裁縫をする、仏具を磨く、料理をする。姑の髪を切る、脚をマッサージする、背中を拭く。そこに見える姑の背中はとてもきれいで、キヨ子さんの丹念な仕事ぶりが見てとれる。誰にも優しく穏やかで、淡々と日々を過ごすキヨ子さんの姿から、品の良さと辛抱強い気性が伝わってくるのだ。
そんな毎日を追う中で、消えない原爆の記憶もカメラは追いかける。通院と点滴が欠かせず、酸素ボンベをベッドの脇に置く生活。息子の成長する姿を喜びながらも、一方で「とてもうれしいのに、ふっと、弟が被爆したのと同じ年になったんだと考えることが悔しい」とあの日のことを思い出してしまう瞬間。原爆は今もキヨ子さんの毎日に影を落としている。
 同じカメラが、キヨ子さんの孤独も見つめる。姑が亡くなった後「お義母さんの写真に、声に出して話しかけているんよ。端から見たらおかしいと思われるかもしれんけど」といい、原爆で亡くした弟の妻からの手紙に書かれた労りの言葉を読んで「こんなふうに思ってくれる人は、他におらん」とつぶやく姿。夫や息子夫婦に囲まれ幸せに過ごしているようで、内面に淋しさを抱えていること伺わせるのだ。
 嫁と姑の関係も描かれる。結婚当初から、二人の関係は決して良くなかった。そんな中姑が寝たきりになるのだが、キヨ子さんが一手に介護を引き受けた13年間の変化もカメラは見ていた。「あんた、酸素は吸うたんか」と聞く姑の気遣いに「あんなこといわれたら、私はどうしていいかわからん」とうつむくキヨ子さんの姿、意識を失った姑に「どうしたの、返事して」と呼びかけるキヨ子さんの必死の声。決定的なのは、姑の死後キヨ子さんが心情を吐き出す場面だ。昭人さんから「(姑の介護は)負担だったんじゃないんか」と聞かれ、キヨ子さんは「あんたはパーよ」と言い返す。
「お義母さんは私を頼りにしてくれた。私の支えだったんよ」
 一対一で向き合うしかなかった二人が、やがて互いを必要とし合い支えとし合うようになっていた、その関係の切なさに胸が詰まる思いがする。キヨ子さんはこうも言う。
「わたしをええ加減に扱こうて。みな素材にしよう思うとるんじゃ」

 書体や大きさがバラバラのテロップに、大げさな音楽、たどたどしいナレーション、原爆の記憶が覗く場面に繰り返し登場する原爆ドームのイメージ映像。統一感のない見た目やありがちな演出には、失礼ながら素人の手によるものという印象を受けてしまう。けれど“素材”を見る監督の眼は違う。
 例えば、キヨ子さんが洗濯物にアイロンをかける場面がある。同じ部屋に置かれたテレビから流れてくるのは、原爆詩集の朗読だ。アイロンをかけながら時折テレビに顔を向け、キヨ子さんは亡くなった弟を思い出す。日常の中でいつまでも消えない原爆の影を感じさせる場面だが、同じ映像が映画の後半で再び登場すると印象ががらりと変わってくる。姑が亡くなった後、嫁たちに“ちゃんちゃんこ(綿を入れた袖無しの羽織)”を作る姑の3、40年前の様子が回想され、続いてアイロンの場面が再び現れる。ここで初めて、キヨ子さんがこの時着ているのが姑の作ったちゃんちゃんこだったことが分かるのだ。今度はこの映像から、介護生活の中で変化していた二人の関係を読み取ることができる。最初は“反核”“平和”について描かれている映像だと受け取らせ、後に“姑と妻の関係”を浮き上がらせる編集。撮影した場面に“素材”としての意味を見い出しその見せ方を判断する、監督の冷静さを感じた瞬間だった。
キヨ子さんの姉がキヨ子さんを見舞う場面も同様だ。姉も被爆甲状腺がんの手術を受けているものの、経過は良く現在も舞踏家として活躍している。酸素を吸い横たわるキヨ子さんの姿に消えない原爆の恐ろしさを感じさせる一方で、それを姉が見舞う様子は、健康で仕事を持ち忙しく飛び回る姉と原爆症に苦しみながら日々を介護に費やす妹という、二つの人生のあまりの違いまで見事に浮き彫りにする。
監督の視線は撮影された“素材”からキヨ子さんの孤独や苦しみを効果的にすくい上げ、作品にしてしまう。ここに「妻の貌」の二重の残酷さを感じるのだ。

 ひとつは、キヨ子さんの人生の残酷さだ。50年にわたる記録には、被爆原爆症、家族関係の苦労、長年の介護といった、キヨ子さんが逃れることのできなかった残酷な運命が刻まれている。
 もうひとつは、その運命を映し続けた撮影者とその映像を編集した監督が、キヨ子さんの夫だという残酷さだ。家族であり夫である昭人さんは、家庭内で起こることの当事者でもある。けれど夫と家族の間にはカメラがあり、その姿はほとんど登場せず自らの思いを語ることもない。介護に塗りつぶされる妻の毎日、原爆症を患う妻の苦しみ、「私の人生を返して」とカメラを見据えて叫んだ妻の思いに、夫としてどう関わったのかも示されない。その代わり、夫であると同時に撮影者兼監督という第三者の視線で、家庭で起こる全てをひたすら撮り続ける。「妻の貌」はこの眼差しなくして生まれなかっただろう。手持ちカメラ越しの冷静な視線が50年にわたって家族を見続けたこと、つまり家庭に常に第三者的な視線が存在し続けた事実は想像を絶する。「妻の貌」はそういった状況も含め鑑賞することで、意味を見出せる作品ではないだろうか。

 床に広げた紙の上に仏具を並べ丁寧に磨くキヨ子さんが、カメラの向こうの昭人さんに尋ねる。「私が死んだら、あんたがこれしてくれる?」昭人さんはいう。「せんよ。宗教がないから」キヨ子さんは黙って作業を続ける。カットが変わり、キヨ子さんの前でトラ縞の太った猫がでんと座って身繕いをしている様が映し出される。
 裁縫や家事をするキヨ子さんの近くに、時々この猫がいる。キヨ子さんの傍で気ままに過ごすこの傍観者は、一体何を表わすのだろう。監督の冷静な視線は、恐らく自らの立場も客観的に見つめているのだと思う。そして監督はこの猫に、夫であるがカメラを持った第三者でもある自らを重ねあわせたのではないだろうか。その上で、それをそのまま作品に組み込んでしまう。やはりこの映画は冷静で、そして残酷だ。