「性は悲しく楽しい。人間は楽しく悲しい」『風俗の人たち』永沢光雄


永沢光雄『風俗の人たち』を読み終える。


永沢光雄さんが一気に名を馳せた『AV女優』に続くノンフィクション。装幀も同じくクラフトエヴィング。確か『AV女優』は、当時内容に対して“らしくない”装幀が話題になった。何しろ私が『AV女優』を知ったのは、確か朝日新聞の書評欄だったくらいだ。その本はモノクロの女の子の写真メインに、きれいなラベンダー色やピンク色を使って黒で引き締めた、シンプルで洒落たデザインだった。他の題材の本だったとしても、魅力的な装幀だと思う。どうして“らしくない”のかが私には分からなかったが、だからこそ『風俗の人たち』も食事の時間毎に読み続け、先日の夕食時に読み切ってしまったのだろう。


風俗業界に携わる人々を、著者がインタビューするというこの本で私が面白がっていたのは、著者の愛すべき情けなさ、だった。この本は著者が実際にその風俗を体験することはなく(体験そのものを避けていたり、いざ体験しようと意気込んで行っても何らかのハプニングが起こり中止になる)、インタビュイーにどぎつい下世話な質問をすることもない。だからこの本を“実用”に供したい人には全く役に立たないだろうが(それは『AV女優』も同じ)、ほんのり関心を持つ私などが読むととても面白い。時にはインタビュー対象であるSMの女王様と、どんなにアポイントを取ってもどんなに近くに居ても面白いくらい会えない、どうしましょう、というだけで丸々一回分が終わってしまうのも面白い。
読んでいて上手いなあと思うのは、読者を著者と同じ目線に誘ってくれるところだ。例えば、ある女装マニアを訪ねた話。39歳、ジャージに長髪、眼鏡の女装マニア「キャンディさん」に案内され、ところせましと女装道具が収められた部屋に通された著者は、なんとかその片隅に腰を下ろす。が。組んだ足の膝下にあるのは…… 下着。フリルの下着だけれど、この小太りな男性が着用したくしゃくしゃの、下着、が……。インタビューはここから始まるのだが、著者が感じているこの微妙な下着の感触を、読者も膝下のあたりに感じながら、このキャンディさんの話を聞くことになるのだ。この感覚の共有させ方がうまい。


劇場で踊る女性のインタビューもそうだ。

まず著者は、インタビュー前に劇場で踊る彼女を見る。「きちんとした踊りができる人を」というリクエストのもと紹介された彼女の踊りは確かにプロのものだった。感心しながらも、これからインタビューする女性の股間を実際に対面するより先にみてしまったという奇妙な心地も抱きつつ、インタビューへ。場所は居酒屋だ。
まず彼女に名前を確認すると、AV出身の踊り子と違って自分はサインを書くことがないから名前がはっきり決まってないと、彼女はそう“楽しそうに言うと、揚げ出し豆腐にがぶっとかぶりつく”。この大らかなかわいさを“がぶっ”という擬音を使って表現するのがいいのだ。プロとして立派にステージを勤める姿とのギャップが際立って、ますます彼女がかわいく思える。
そして話が始まる。インタビュー部分そのものは、やわらかい著者の説明を挟みながら進む、彼女のモノローグという感じだ。騒がしい居酒屋の中で、淡々と今までのことを話す彼女の言葉に集中していると、ふいに再びカギカッコ付きの二人の会話に戻る。そのとき読み手は我にかえり、彼女の告白に引き込まれていたことに気付くのだ。
インタビューの余韻の中で、彼女には子どもがいることを知る。写真を見せてもらうと、おせじではなくかわいい(らしい)。しかしダンナは失業中だという。彼女にこれからのことを聞くと「ストリップを続けていくことはできないでしょうね」と答え、そろそろ次のステージがあるからと慌ただしく店を出て行く。彼女は1日4ステージこなすのだ。
このインタビューの締めは「余計な事ですが、石原さんのダンナさん、七月からは本当に働いてくださいね」という著者の言葉なのだが、読み手も「ダンナさん、頼みますよ」と、心から思えてしまうのだ。風俗業界インタビューというのに、なんだろうこの不思議な雰囲気。


読み終わって思い出すのは、ストリッパーの彼女が揚げ出し豆腐にかぶりついた“がぶっ”や、SMクラブで働くM女さんのいい人さ加減や、「大変ですよ」といいつつ新規出店に挑むWさんの不器用な懸命さや、風俗店を経営する女将が懸命に頑張る従業員をまるで我が息子のように幸せそうに見つめる眼差し、そしてインタビューが苦手なのにインタビューしている著者なのだ。


もちろん、風俗業界の人々も興味深い。彼らのほとんどがマイノリティであるため、想像もできないような様々な仕事が登場し、社会の奥深さと「男と女」「正常と異常」などの二項対立で世の中がいかに割り切れるものではないかがよく分かる。常識を振りかざすなんて、アホらしい。自分で自分がメジャー/正常だと思い、いわゆる少数派に属する人々に「気持ち悪い」などと言い放ち見下す愚かしさを、やんわりと諌めてくれる。
このやんわり、というところが重要で、“常識を振りかざすアホらしさ” “マイノリティを見下す愚かしさ”なんて、この本には直接的には一行も書かれていない。それらは全て、アル中になりながら、インタビューが苦手なのにインタビューしている著者のとほほ加減に上手く包まれているのだ。アタリが柔らかいからと油断しているうちに、鈍いパンチが効いてくる感じ。初めから負けを決め込んでいる、著者の立ち位置のおかげだろう。実は計算づくではないかと、思ってしまうほど絶妙だ。


ところで、永沢光雄さんは『風俗の人たち』のあと数冊のノンフィクションを出版した後、小説を書く。評価も良く次作を期待されたものの、突然の病に見舞われる。下咽頭ガンだった。インタビュアーが、その声を失うというあんまりな運命。その後闘病記を出版されたが、47歳で亡くなられた。これから、という時の死ではないかと思う。無念に思いながら、その知らせを読んだ事を今でも時々思い出す。


風俗の人たち (ちくま文庫)

風俗の人たち (ちくま文庫)

私、単行本を初版帯付きで持ってます。

AV女優 (文春文庫)

AV女優 (文春文庫)

これも、単行本を初版帯付きで持ってます。