真剣12人しゃべり場「12人の怒れる男」

十二人の怒れる男」を学生の頃見て、そのあまりの面白さに驚いた記憶がある。
 登場人物は、ある殺人事件の審判を任された十二人の陪審員だけ。
 舞台は密室。
 そんなミニマムなスタイルがカッコいい。
 限られた条件なのに、少しの手がかりと十二人の陪審員の想像力と会話で
 物語は怖いくらい転がっていくのだ。


 そんな名作をロシアの巨匠ニキータ・ミハルコフがリメイクするという。
 ニキータ・ミハルコフ監督は、やはり学生の頃に見た
 マストロヤンニ主演の「黒い瞳」がとても好きだった。
 この監督ならばいい映画になるかも知れないと、期待した。


 でき上がった映画「12」(原題)は、監督のロシアへの現状についての思いのたけを
 様々な伏線や象徴的な小道具、クロスカッティングなど様々な方法を駆使して描く、
 “ニキータ・ミハルコフ監督の映画”になっていた。


十二人の怒れる男」と「12」の大きな違いは、
 現代ロシアの抱える問題を多く盛り込んだことだろう。
 12人の男たちが語るそれぞれの人生には どれも象徴的にロシアの現状が映り込んでいる。
十二人の怒れる男」をイメージして見始めると少々面食らうのは、
 旧作があくまで理詰めで有罪か無罪かを論じるのに対し、
「12」で男たちの心を動かすのが それぞれの半生の物語であるという点だ。
 そういう理由で己の立場を覆していいのかと不思議に思うが
 「十二人...」同様に室内での殺人シミュレーションも行われ
 一応はサスペンスの体裁を保っている。


 正直に言うと、この映画をどう判じていいのか 迷うところがある。
 まず、上記のように息詰まる推理劇を期待すると当てが外れる。しかも、長い。
 「ああ しゃべり場だなあ...」と失礼ながら思いつつ
 12人分の物語を「何故か」、そう「何故か」聞くことになる。
 けれど、映画の前半に仕組まれるいくつかの仕掛けが、後半徐々に 明らかになったり解決されたり様は
 映画として悪くない。
 特に、時折挿入される容疑者の少年のダンスの意味が
 後半で鮮やかに変わり 感動を誘うのは見事だった。あれは、本当に。
 「12」は 付け加えられた情緒と、
 ロシアの巨匠がこれでもかと詰め込んだ「映画を語る手腕」が 見どころではないかと思う。
 ラストには、辛抱強く待ち続けたかいのあるオチも待っている。

 ただ 私は詳しくないので あまり大きな声で言えないが
 果たして、チェチェンの人々はこの映画に暗喩されているような解決でいいのだろうか?
 この映画を思い起こし政治に関する部分を考えると どうもバランスを欠いているように思えてしまうのだ。

 また「十二人の怒れる男」も「12」もそうだが
 女性が一人も出て来ないのは何故だろう。
 それを思うと 女性を登場させた三谷幸喜作「12人の優しい日本人」が、
 実は記憶以上に優れた映画だったような気がしてきた。
 中原俊監督による映画版はとても面白かった記憶があるが、再見する必要があるかもしれない。